『張氏医通』養生シリーズ
はじめに
前回は、
衛気が夜に陰へ帰れなくなる
ことが不眠の本質であると学びました。
では、その「帰れない」状態はどのようにして生まれるのでしょうか。
今回は、不眠の原因のなかでも特に現代人に深く関わる
「鬱(うつ)」
に焦点を当てます。
ここで言う「鬱」とは、現代語で言う「うつ病」とは少し異なります。
東洋医学における「鬱」とは、
気・血・津液などが、滞り、うっ積した状態
を広く指す言葉です。
六鬱とは何か
『張氏医通』は、朱丹溪の「六鬱論」を基盤に鬱を論じています。
六鬱とは、
| 鬱の種類 | 内容 |
|---|---|
| 気鬱 | 気の流れが滞る |
| 血鬱 | 血の巡りが滞る |
| 湿鬱 | 湿邪が体内に停滞する |
| 痰鬱 | 痰が生まれ、経絡を塞ぐ |
| 熱鬱 | 熱がこもり、散じられない |
| 食鬱 | 飲食が消化されず滞る |
この六つはそれぞれ独立しているのではなく、
気鬱がすべての根本
にあります。
気の流れが滞ると、血も滞り、湿も痰も熱も生まれやすくなります。

木鬱――肝の気が動けなくなるとき
六鬱のなかで、睡眠に最も深く関わるのが気鬱、そして**木鬱(もくうつ)**です。
東洋医学において、
- 「木」は肝に配当され、
- 肝は気の疏泄(そせつ)、すなわち気をのびのびと流す働きを主ります。
しかし、
- 長期にわたるストレス
- 強い怒りや悲しみ
- 思い悩み、気持ちを発散できない状態
などが続くと、肝の気がのびやかに動けなくなります。
これが肝気鬱結(かんきうっけつ)です。
肝気鬱結と不眠の関係
肝気が鬱結すると、どのようにして不眠が生まれるのでしょうか。
東洋医学では、
魂(たましい)は肝に宿る
と考えます。
昼間は魂が外に出て活動し、夜になると魂は肝に帰り、人は眠りにつきます。
しかし肝気が鬱結していると、
- 気が滞り、熱に変化します(気鬱化火)。
- 熱が上に昇り、心神を乱します。
- 心が落ち着かず、魂も肝に帰ることができなくなります。
こうして、
眠ろうとしても眠れない 眠りに落ちても夢が多く、眠りが浅い ふとしたことで目が覚めてしまう
という不眠が生まれます。

心安とは何か
『張氏医通』が不眠の治療において大切にするのが、
「心安(しんあん)」
という概念です。
心安とは、単に「気持ちが落ち着いている」ということではありません。
心神が安定し、外の刺激に乱されず、 内から湧き上がる想念にも揺さぶられない状態
を指します。
肝気鬱結による不眠では、気の滞りを解くことが第一です。
しかしそれだけでは不十分で、
- 肝の気を疏通させ
- 心神を落ち着かせ
- 魂が静かに肝へ帰れる条件を整える
ことが必要とされます。

『夜船閑話』との接続
江戸時代の禅僧・白隠慧鶴が記した『夜船閑話』には、
禅の修行と養生を結びつけた独自の内観の法が説かれています。
白隠は、心の消耗が五臓を傷め、睡眠を乱すことを説きました。
これは『張氏医通』の
思慮過度が肝気を鬱結させ、心神を乱す
という観点と深く重なります。
どちらも、
不眠の根は「心のありよう」にある
という点で、一致しているのです。
現代風に言えば、
- 就寝前のスマホやSNSによる過剰な情報刺激
- 仕事の心配や人間関係の悩みを寝床まで持ち込む
- 「眠れなかったらどうしよう」という不眠への不安そのもの
これらはすべて、肝気を鬱結させ、心神を乱す因子と言えるかもしれません。

まとめ
今回学んだことを整理します。
- 東洋医学の「鬱」とは、気・血・津液などが滞った状態である
- 六鬱の根本は気鬱にあり、気鬱は肝気鬱結と深く関わる
- 肝気が鬱結すると化火し、心神を乱し、魂が肝に帰れなくなる
- 不眠の回復には、気の疏通とともに「心安」の状態を整えることが大切である
眠れない夜に、頭が次々と考えを生み出し続けるとき。
それは、肝気が鬱結し、心神が静まれない状態かもしれません。
次回予告
第3回 胃和なければ臥安からず
「胃が和せざれば、則ち臥すること安からず」 ――古典の言葉にあるように、消化器と睡眠は密接につながっています。
次回は、脾胃(消化器系)と不眠の関係を探ります。
暴飲暴食・不規則な食事・痰飲の蓄積が、どのように眠りを妨げるのか。
そして古方の名処方、**温胆湯(うんたんとう)**の働きとともに見ていきます。
また『養生訓』『老老恒言』の食養の知恵も合わせてご紹介します。
『張氏医通』養生シリーズ 第2回 了


