長夏にみる「霍乱」と“水”の使い方
8月の定例会では、長夏にみる「霍乱の病」についてご一緒に読み解きました。
当日は時間の関係で触れられなかった部分がありますので、今回はその補足として、「水」の使い方について記事にまとめます。
来週から3回にわたり、「夏の疲れを癒やす水の使い方」として本ブログで記事を公開してまいります。あわせてご確認いただければ幸いです。
なお、今回の記事の原本は、2024年11月の定例会資料をもとにしております。
霍乱とは?
ここでいう「霍乱(かくらん)」は、現代医学でいう特定の一疾患だけを意味するものではありません。
古典医学では、
- 激しい嘔吐
- 下痢
- 腹痛
- 腹部の不調
- 急激な胃腸症状
などを伴う病態を広く表す言葉として使われています。
したがって、
「霍乱=長夏にみる胃腸病・熱病・強い倦怠感」
と、大きな意味でとらえるとよいでしょう。8月定例会でご紹介した長夏の病理も、この広い意味での「霍乱」の枠組みで理解いただくと、他の症候との関連が見えやすくなるかと思います。
熱湯――『本草』にみるその性質
『本草』には、一名を麻沸湯、また太和湯・百沸湯ともいうとあります。
日々陽気を助け、元気・経絡に働きかける、とされています。
注にいうには、「熱湯は十分に百沸させたものが佳く、半ば沸いた程度のものを飲めば、かえって元気を傷り、腹を害する。」とされています。また、「熱湯を勢いよく飲むことで口を激し、歯を損じる。」ともいわれます。
胃の調子が優れず、まだ下剤などを用いる段階ではないときには、「熱湯一椀を飲み、手で腹を三度ほど撫でて腹心がよくなれば、さらに二、三度これを行う。」、という記述も見られます。

「陰陽水」――定例会で触れられなかった水の使い方
湯はまた「陰陽水」とも呼ばれます。
新汲水(汲みたての水)と百沸湯(十分に沸かした湯)とを等分にして、三合合わせて和し均したものをいいます。
毒悪の物を食して病み、食べたものが腹に停滞して腹が張り、霍乱になろうとするときには、この陰陽水を一盞加えて多く飲ませ、食べたものと薬とを吐き尽くさせることで癒えるとされています。
また、すでに霍乱して嘔吐し、食べ物も薬も受け付けないような危険な症状のときには、陰陽水を数口飲ませるべきである、ともあります。
陰陽水の用途(原文より)
原文では、
毒悪之物ヲ食ニ病食トリ腹ハリテ霍亂トナラントスルニ
とあり、毒のあるもの・身体に害となるものを食べてしまった後、
- 腹が張る
- 食べ物が腹に停滞する
- 霍乱(急激な嘔吐・下痢などを伴う病態)になりそう
という場合に用いるとされています。
そして、
盞ヲ加ヘテ多クノミ療ト食トヲ吐盡シテ愈
という趣旨で、陰陽水を多く飲ませ、食べたものや薬などを吐き出させることで治すという古典的な治療法が説明されています。
『東医宝鑑』との対応
「陰陽水」は日本の『大和本草』だけでなく、朝鮮・許浚『東医宝鑑』(湯液篇)にも同様の記述がある。さらに遡ると、共通の源流は『本草綱目』水部の「生熟湯」条にあると考えられる。
東医宝鑑(湯液篇・水部、要旨)
끓인 물 반 그릇과 새로 길러온 물 반 그릇을 합한 것을 음양탕이라고 한다. 이것이 바로 생숙탕이다. 강물과 우물물을 합해 쓰는 것도 음양탕이라고 한다.
書き下し/現代語訳
沸かした湯を半分、新しく汲んだ水を半分合わせたものを陰陽湯という。これがすなわち生熟湯である。川の水と井戸水を合わせて用いるのも陰陽湯という。
用途(東医宝鑑、要旨)
볶은 소금을 타서 마시면 숙식(宿食)이나 악독한 것을 토해낸다. 곽란이 되려고 할 때 이것으로 다 토해내면 곧 낫는다. (炒り塩を加えて飲めば、体内に停滞した食物や毒性のあるものを吐き出させる。霍乱になりかけたとき、これで吐き尽くさせれば治るとされる。)
許浚『東医宝鑑』(湯液篇)にある“陰陽水”の作り方
熱湯をカップに半分入れ、冷水を少し注いでから すぐに飲むと、人体の上下循環を円滑にします。 東医宝鑑ではこれを「生熟湯」とも呼び、 吐き気や下痢を伴う胃腸病の特効薬として紹介しています。
下の熱い水の気が上に上がり、 上の冷たい水の気が下に降りてくる 対流現象により、気血循環に大きな効能があります。
熱い陽の気である水と 冷たい陰の性質の水が出会い、 上下循環(対流現象)する時に飲むと、 人体の上下の気を円滑に疎通させ (水昇火降:水気は上昇して頭をすっきりさせ、 火気は下降して下腹部を温める)る 薬水の役割を果たします。

文献の対応関係
| 文献 | 呼称 | 構成 | 用途 |
|---|---|---|---|
| 本草綱目(水部「生熟湯」) | 生熟湯 | 沸かした湯+新汲水を等分に合わせる | 毒物・宿食を吐かせる |
| 大和本草(貝原益軒) | 陰陽水 | 新汲水+百沸湯を等分に合わせる | 霍乱の際、食・薬を吐かせて治す |
| 東医宝鑑(許浚、湯液篇) | 陰陽湯(陰陽水)=生熟湯 | 沸かした湯+新汲水、または川の水+井戸水を合わせる | 宿食・毒物を吐かせる。霍乱の際に用いる |
構成(冷水と熱湯を等分に合わせる)だけでなく、用途(毒物や滞った食物を吐かせ、霍乱を治める)までほぼ一致している点が注目される。これは、「陰陽水」という水の概念とその使い方が、『本草綱目』を共通の典拠として、朝鮮(東医宝鑑)と日本(大和本草)にそれぞれ伝わり、東アジアの本草学の中で広く共有されていたことを示している。
参考史料
- 李時珍『本草綱目』(水部、特に「生熟湯」条)
- 貝原益軒『大和本草』巻之三「水類」
- 許浚『東医宝鑑』湯液篇(水部、「陰陽湯」条)
- 中村学園大学公開『大和本草』巻之三 原本画像
来週からの3回シリーズについて
以上の内容を踏まえ、来週より一般向けブログとして、
- 勞水(甘爛水)――水を動かして脾胃を目覚めさせる
- 熱湯と陰陽水――冷たい水と熱い湯を、あえて合わせる知恵
- まとめ――水の巡りを整える夏養生
の3回シリーズを公開いたします。定例会での資料をベースに、より実践的・一般向けの内容として構成しておりますので、あわせてご確認ください。
会員の皆様からのご意見・補足など、ございましたら次回定例会にてお聞かせいただければと思います。
本記事は古典医学資料(『本草』等)に基づく歴史的・思想的な解説です。陰陽水を用いて嘔吐を誘発する治療法は古典上の記述であり、現代における自己判断での実施は推奨されません。

