はじめに 夏バテは「水の滞り」から始まっている
暑さが続くと、なんとなく身体が重い。食欲がわかない。むくみが取れない。 そんな夏特有のだるさを、東洋医学では「脾胃(消化機能全般を担う働き)」の疲れとして捉えることがあります。
冷たい飲み物や冷房で身体を冷やし続けると、脾胃の働きが落ち、体内の水はうまく巡らなくなります。その結果、
- 胃腸が重い
- むくみが取れない
- だるさが抜けない
- 食欲が落ちる
といった、いわゆる「夏バテ」の症状につながっていきます。
こうした「水の滞り」を考えるうえで、古典本草学に興味深いヒントがあります。それが今回ご紹介する 「勞水(ろうすい)」、またの名を「甘爛水(かんらんすい)」 です。
1.「勞水」とは何か
『本草綱目』には、次のような一節があります。
勞水 一名甘爛水
「勞」はここでは単に「疲れる」という意味ではありません。水を何度も汲み上げ、高いところから落とし、また汲み上げる――そうやって水に「働き」を加えることを指しています。
張仲景はこの水を「甘爛水」と呼びました。「爛」は、水面が細かく波立ち、泡立つような状態を表す言葉です。つまり、
勞水=甘爛水=「動かすことで性質を変えた水」
ということになります。
2.作り方に込められた発想――「静かな水」より「動いた水」
甘爛水の作り方は、現代人からすると驚くほど手間がかかります。
- 流水を大きな器に汲む
- 杓ですくい、高いところから落とす
- また汲み上げ、また落とす
- これを何度も繰り返す
- 水面に細かい泡が立ち、波が追いかけ合うようになったら完成
古人は、ただ「きれいな水」を選んだのではありません。水に動きを与えることで、もとの水よりも軽く、甘い性質に変わると考えたのです。
ここには、東洋医学らしい発想があります。水を「静止した物質」としてではなく、
- 重さ/軽さ
- 清/濁
- 流動
- 上下・順逆
- 動/静
といった、性質が変化しうるものとして捉えているのです。
3.夏バテと脾胃――なぜ「動く水」が効くのか
東洋医学では、「脾は運化を主る」と言われます。飲食物から得たものを運び、変化させ、全身に届ける働きです。
脾の働きが落ちると、
- 水湿が停滞する
- 胃腸が重くなる
- むくみが出る
- 痰飲(余分な水分の停滞)が生じる
- 食欲が落ちる
- 身体がだるくなる
といった、まさに夏バテそのものの症状が出やすくなります。
甘爛水の発想――水を動かすことで、水の性質そのものを変える――は、そのまま「脾胃を助ける水」という古典的な意味につながります。実際、張仲景の『傷寒論』にある「茯苓桂枝甘草大棗湯」では、通常の水ではなく甘爛水を用いることが記されています。つまり古典医学では、処方そのものだけでなく、「何の水で煎じるか」まで治療設計の一部だったのです。
4.身体の中の「水」も、動いてこそ働く
東洋医学でいう体内の水は「津液」と呼ばれます。津液は、
脾胃で作られ → 肺によって全身に巡らされ → 三焦を通って身体中をめぐり → 腎・膀胱から排泄される
という「動き」の中で、初めて身体を潤す働きを果たします。
夏、冷たいものの摂りすぎや冷房で脾胃が弱ると、この巡りが滞り、「水滞」という状態になります。むくみやだるさは、水が「ある」ことではなく「動いていない」ことの問題だと考えられるのです。
5.現代の生活で活かすには
もちろん、甘爛水を文字通り何百回も汲み上げて作る必要はありません。ここから汲み取りたいのは、
「水は動いてこそ、身体を養う」という発想そのもの
です。夏の養生として、たとえば次のような形で応用できます。
- 冷たい水を一気に飲むのではなく、常温の水を少しずつこまめに飲む
- 湯冷ましなど、一度動かした(沸かした)水を活用する
- 汗をかいたあとは、水分をとるだけでなく軽く身体を動かして巡りを促す
- 脾胃を冷やしすぎない食養生を意識する
水そのものの成分は変わらなくても、「動き」を意識することが、夏の疲れをためない身体づくりにつながります。
おわりに
古人は、水を「何でできているか」だけでなく「どう動いているか」で見ていました。これは、身体の中の気・血・津液についても同じことが言えます。
次回は、この「勞水」と対になるもう一つの古典的な水――熱湯と「陰陽水」――を通して、夏の脾胃をいたわる知恵をさらに掘り下げていきます。
本記事は東洋医学古典(『本草綱目』等)に基づく歴史的・思想的な解説であり、特定の症状に対する治療効果を保証するものではありません。体調に不安がある場合は医療機関にご相談ください。



