竹に宿る「天地をつなぐ力」を読み解くシリーズ「竹の霊性と東洋医学」

第1回 地鎮祭の竹は、なぜ四隅に立てられるのか
―大地に「天への柱」を立てるということ
家を建てる。
私たちにとっては、ごく現代的な建築工事です。
土地を測り、設計図を描き、基礎をつくり、柱を立て、屋根をかける。
けれど、昔から日本人は、土地に建物を建てるという行為を、単なる工事とは考えてきませんでした。
「これから、この土地に人が住みます」 「ここに建物をつくらせていただきます」
そのことを、まず土地の神さまに報告し、工事の安全と、その場所で暮らす人々の末永い平安を願う。
それが、地鎮祭です。
神社本庁によれば、地鎮祭は建物の新築や土木工事の起工に際して、土地の神さまに工事の無事や土地・建物の安全を祈願する祭りです。四方を祓い清め、工事の開始を奉告し、鎮物を納めるなどの行事があります。
そして、その祭場を見ていると、ある植物が目に入ります。
竹です。
四隅に青々とした竹が立てられ、その竹と竹の間を注連縄が結びます。
私たちは、この光景を何気なく見ているかもしれません。
しかし、少し立ち止まって考えてみると、不思議ではないでしょうか。
なぜ「竹」なのでしょう。
竹は「境界」をつくる
地鎮祭などで青竹を四隅に立て、注連縄をめぐらせる形式は、神さまを迎える対象である**神籬(ひもろぎ)**と関係しています。神社本庁も、現代では青竹などを四隅に立て、注連縄をめぐらせ、中央に榊などを立てて神さまを迎える形があり、地鎮祭でも見ることができると説明しています。
つまり、竹は単に「飾り」として置かれているのではありません。
そこに、
「ここから内側は、特別な場所ですよ」
という境界をつくる役割があります。
日常の土地と、祭りのための土地。
人間の生活空間と、神さまをお迎えする空間。
その間に線を引く。
それが注連縄であり、その四隅に立つ竹なのです。
四隅に立つ竹
ここで、竹の姿を思い浮かべてみましょう。
竹は地面から生えています。根は地中にあります。ところが、地上に出ると、驚くほど真っ直ぐに上へ伸びていく。
大地に根を張りながら、空へ向かう。
しかも、一本の竹には「節」があります。節がありながら、全体としては一本につながっている。さらに竹の内部は空洞です。
この姿を眺めていると、竹はまるで、
地と天の間に立つ一本の柱
のように見えてきます。
だから、地鎮祭の竹を象徴的に読むなら、
大地の四隅に、天へ向かう柱を立てる。
そんなイメージが浮かび上がってきます。
もちろん、これは「地鎮祭の竹には必ずこういう意味がある」と断定する話ではありません。しかし、竹という植物の姿を眺めながら、その意味を考えてみると、とても興味深いのです。
竹は「境界」であり、「通路」でもある
竹には、もう一つ不思議なところがあります。
竹林に入ったことがある方なら分かるでしょう。竹林は、どこか空気が違います。竹が密集して立っている。上を見ると、竹の葉が重なって空を覆っている。風が吹くと、葉が一斉に揺れる。地面には竹の葉が積もり、その下には地下茎が伸びている。
つまり竹は、
地下と地上をつなぎ、地上と天空をつなぐ植物
でもあります。
地中の根から水を受け取り、幹を通して上へ向かう。そして葉を広げ、太陽の光を受ける。その姿はまるで、
「地から天へ生命が昇っていく」
ようにも見えます。
東洋医学から見た「竹」
ここからは、東洋医学の目で竹を眺めてみましょう。
東洋医学では、自然界を単独のものとして見るのではなく、
天・地・人
という関係の中で捉えていきます。
天から光や熱が届く。地から水や養分を受ける。その間に生命が存在する。
竹は、この「天地の間」に立っています。
- 根は地へ。
- 茎は上へ。
- 葉は天へ。
だから竹を眺めていると、
「天地の間で生命が昇っていく」
というイメージが自然に浮かびます。
そして、これが次回のテーマへつながります。
竹の中では、実際に水が動いている。しかも、竹は一本だけで孤立しているわけではありません。地下茎を介して、竹と竹の間で水や資源が移動することも研究されています。発芽期の竹では、既存の竹から新しい竹へ地下茎を通じて水が移動することが報告されています。
つまり、
竹は「水を受け、運び、次の生命へ渡す植物」
でもあるのです。
次回は、この「竹の中の水」――竹水について考えてみたいと思います。


