全3回シリーズ「竹の霊性と東洋医学」、まもなく公開
第0回 予告編
竹を見て、何を思いますか。
まっすぐな幹。青々とした葉。風にしなる、あの音。
多くの人にとって、竹はただの「植物」でしょう。庭にある。竹林がある。たけのこが美味しい。それくらいの存在かもしれません。
けれど、少しだけ視点を変えてみると、竹はまったく違う姿を見せてきます。
地鎮祭で、なぜ四隅に竹が立てられるのか。
『竹取物語』で、なぜかぐや姫は竹の中から現れたのか。
竹の内部を、実は「水」が静かに移動していることを知っていますか。
これらは、別々の話ではありません。
すべてが、一本の竹という植物の中でつながっています。
竹は、ただの植物ではない
私たちの祖先は、竹を単なる建材や食材として見てきたわけではありません。
神さまを迎える儀式の場に、竹を立てた。
物語の中で、異界からの生命を竹の中に宿した。
そこには、竹という植物の「姿」そのものに対する、深い観察と直感がありました。
- 根は、地の中にある。
- 茎は、天へ向かってまっすぐ伸びる。
- 内部は、空洞である。
- 節がありながら、全体は一本につながっている。
この姿を眺めていると、竹はまるで、
「大地と天をつなぐ、一本の柱」
のように見えてくるのです。
東洋医学の目で、竹を読む
東洋医学では、自然界を「天・地・人」という関係の中で捉えます。
天から光や熱が届き、地から水や養分を受け、その間に生命が存在する。
この視点を持って竹を眺めると、竹という植物がまったく違って見えてきます。
- なぜ竹は、地鎮祭で「境界」をつくる役割を担うのか。
- 竹の中を流れる「竹水」とは、何を象徴しているのか。
- 『竹取物語』で、かぐや姫が竹という「器」から現れたのは、なぜなのか。
これらの問いを、一つずつ、丁寧にひも解いていきます。
全3回シリーズの内容
このシリーズでは、竹という一本の植物を軸に、日本人の信仰・東洋医学の思想・古典文学の三つを結びながら読み解いていきます。
第1回 地鎮祭の竹は、なぜ四隅に立てられるのか ――大地に「天への柱」を立てるということ
第2回 竹水――地の水を、天へ運ぶ竹 ――竹の中を流れる「生命の水」を考える
第3回 竹の中から、なぜ「かぐや姫」が現れたのか ――『竹取物語』に見る、竹という「天地の通り道」
こんな方に読んでいただきたい
- 神社や地鎮祭など、日本の伝統儀礼の意味に興味がある方
- 東洋医学的な自然観・身体観に触れてみたい方
- 『竹取物語』を、少し違った角度から読み直してみたい方
- 竹林や庭の竹を眺めるとき、もう少し深く感じてみたい方

次回、公開です
竹は、無理に空へ伸びようとしているようには見えません。
地に根を張り、水を受け、節をつくり、風が吹けばしなる。それでも、また立ち上がり、上へ伸びていく。
その姿の奥には、私たちの身体や生き方に通じる、静かな知恵が隠れているのかもしれません。
次回、第1回「地鎮祭の竹は、なぜ四隅に立てられるのか」から、シリーズが始まります。
どうぞ、お楽しみに。


