境界・通路・器を超えて、竹に秘められた「不思議な力」を集める
これまでの3回では、竹を
- 「境界」をつくる植物として
- 「水と生命を通す」植物として
- 「異界と現世をつなぐ器」として
眺めてきました。
けれど、竹の不思議さは、これだけではありません。
歴史をたどっていくと、竹は「治療の道具」であり、「発明の鍵」であり、「物語の中で邪を鎮める力」でもありました。
今回は特別編として、竹にまつわる、少し驚くような事実とエピソードを集めてみたいと思います。
竹は、身体を治す道具だった――「竹針」の歴史
鍼灸のルーツをたどると、意外な事実に出会います。
鍼(はり)は、もともと金属でできていたわけではありません。
古代中国では、まず**石でできた鍼(砭石・へんせき)**が使われ、そこから
- 動物の骨でできた骨針
- 竹でできた竹針(箴)
- 陶器の破片でできた陶針
というように、さまざまな素材の鍼が生まれていきました。金属の鍼が使われるようになったのは、戦国時代あたりからだと言われています。
つまり、鍼灸という東洋医学の技術は、その原初において、竹という植物を身体に直接触れさせることから始まっていた時期があったのです。
竹は、地と天をつなぐ柱であり、水を通す通路である――そのことを第1回・第2回で見てきました。
その竹が、人間の「気・血・津液」の通り道である経穴(ツボ)に触れ、身体の中の流れを整える道具として使われていた。
これは、竹の「通す」という性質が、そのまま身体に応用されていたということかもしれません。
竹は、電気を通す―エジソンが選んだ、京都の竹
もう一つ、竹の不思議な力を語るうえで欠かせないのが、電気との関わりです。
1879年、トーマス・エジソンは実用的な白熱電球の開発に取り組んでいました。彼が最後まで苦労したのは、フィラメント(発光する線状の部品)に適した素材探しでした。
木綿糸を炭化させたフィラメントでは、点灯時間はわずか40時間ほど。エジソンは、金属から木綿、あごひげまで、6000種類以上の素材を試したといわれています。
そんな中、たまたま研究室にあった扇子の骨に使われていた竹を試したところ、非常に良い結果が得られました。
そこでエジソンは、世界中に調査員を派遣し、フィラメントに最も適した竹を探し求めます。そして最終的にたどり着いたのが、京都・石清水八幡宮周辺に自生する「八幡竹」でした。
この竹を使ったフィラメントは、1,200時間もの点灯に成功し、白熱電球が世界に広まる第一歩となったのです。
竹が、電気を通し、光を生み出す。
――これもまた、竹が持つ「通す力」の、もう一つの姿だったのかもしれません。
ちなみに、八幡の竹は江戸時代にも、刀剣の留め具である「目釘(めくぎ)竹」として徳川将軍家に献上されるほどの名品でした。強さと粘り、そして繊維の緻密さ。竹という植物の物理的な性質そのものが、時代を超えて選ばれ続けてきたのです。
竹は、邪気を鎮める――物語に描かれた「竹の結界」
竹が「邪気を鎮める」「異形の力を封じる」象徴として描かれる例は、現代の物語にも見られます。
例えば、大ヒットした漫画・アニメ『鬼滅の刃』では、鬼となった主人公の妹が、人を襲う衝動を抑えるために、口に竹筒の轡(くつわ)をつけられているという描写があります。
竹が、内側にある強い力・危険な性質を「抑え、鎮める」ための器として描かれている。
これは、私たちが第1回で見た「地鎮祭の竹」―日常と聖域の境界をつくり、荒々しいものを鎮めて祭場を清める竹―と、どこか重なる発想です。
そして中国には、さらに古くから伝わる、竹と邪気にまつわる風習があります。
爆竹のルーツは「竹を焼く音」
現在では火薬を使った花火として知られる「爆竹」ですが、そのルーツは、文字通り竹を燃やして生じる破裂音でした。
6世紀頃の中国の書物『荊楚歳時記』には、旧暦の正月一日の朝、庭で竹を焼き、その激しい破裂音で悪鬼を追い払ったという記録が残っています。この習わしの起源はさらに古い先秦時代までさかのぼるとされ、竹筒や篝火を燃やして生じる爆発音によって邪気や悪鬼を追い払う――という発想が、長い時間をかけて民間に広まっていったと考えられています。
竹が燃えて破裂するときの、あの鋭く大きな音。
その音そのものに、邪を払う力があると信じられてきたのです。
竹は、燃やされ、割れるときにさえ、人を守る力を発揮する植物として扱われてきました。
竹は、足裏から邪気を吸い取る-「青竹踏み」に込められた知恵-
最後に、もっと身近な竹の話を。
青竹踏みという健康法をご存じでしょうか。
半分に割った青々とした竹を足裏で踏む、昔から伝わる養生法です。
面白いのは、これが「青竹」であることに意味があるとされている点です。乾燥した竹や、プラスチック製の足踏み器では、青竹本来の効果は半減してしまうと言われています。
なぜ、青竹でなければならないのか。
一つの見方として、青竹には、まだ水分と生命力が保たれている――つまり、竹がまだ「生きている」状態だから、という考え方があります。
第2回で見たように、竹は地から水を受け取り、身体の中を通して、次の生命へと渡していく植物でした。
その「通す力」がまだ生きている青竹だからこそ、足裏に触れたときに、身体の中に滞っているものを引き出し、外へ通してくれる――そんな感覚を、昔の人は大切にしてきたのかもしれません。
もちろん、これは医学的に効果が証明された話ではなく、あくまで昔から伝わる養生の知恵、民間伝承としての側面が大きいものです。それでも、竹を踏むという行為の中に、「竹は流れをつくり、滞りを通してくれる」という、竹に対する昔からの直感が息づいているように思えます。

まとめ――竹は、あらゆる場面で「境界」に立ってきた
今回、特別編として集めたエピソードを並べてみると、竹の姿がさらに立体的に見えてきます。
| 分野 | 竹の役割 |
|---|---|
| 医療(鍼灸) | 竹針として、身体の「気・血・津液」の通り道に触れる道具になった |
| 発明(電球) | 竹の繊維が電気を通し、世界を明るく照らすフィラメントになった |
| 物語(鬼滅の刃) | 内なる荒々しい力を鎮め、抑えるための「竹の器」として描かれた |
| 民俗(爆竹) | 竹が破裂する音そのものが、邪気や悪鬼を払う力を持つとされた |
| 養生(青竹踏み) | 生きた青竹の力が、足裏から滞りを引き出すと信じられてきた |
医療も、発明も、物語も、民俗も、養生も――
分野は違えど、どれも竹の同じ性質にたどり着きます。
竹は「通す」ものであり、「鎮める」ものであり、「境界に立つ」ものである。
竹という一本の植物が、なぜこれほど多くの場面で、人間の生活と精神に関わり続けてきたのか。
その答えの一端が、今回集めたエピソードの中に、静かに見えてくるのではないでしょうか。
📝 編集メモ:ほかに提案できる「竹の神秘性」
今回の特別編でご紹介した内容に加えて、記事のボリュームや切り口によって、次のようなテーマも「竹の神秘性」として扱うことができます。ご希望があれば、追加で記事に組み込むことも可能です。
- 七夕の竹――願いごとを書いた短冊を竹に飾る風習。竹が「願いを天へ届ける通路」として使われている点は、本シリーズのテーマと非常に近い。
- 松竹梅と竹の「しなやかな強さ」――雪の重みにしなっても折れない竹の姿が、逆境に負けない生き方の象徴とされてきた。
- 尺八と竹の「空洞」――禅の修行の一つ「吹禅(すいぜん)」で使われる尺八は竹製。中空の竹に息を通すことそのものが、修行・瞑想の行為とされている。
- 茶道の竹(茶杓・柄杓)――茶室という結界の中で、竹の道具が「清め」「取り次ぎ」の役割を果たす。
- 竹箒(たけぼうき)――神社の境内を掃く箒に竹が使われ、「穢れを掃い、境界を清める」道具として機能している。
- 竹の花が咲くと不吉、という言い伝え――竹は数十年に一度しか花を咲かせず、その珍しさゆえに「異変の予兆」として語られてきた地域がある。


